地方の小蔵から世界へ

山口県岩国市、人口わずか1万人の山あいの町・周東町獺越(おそごえ)。ここに本拠を構える旭酒造が生み出す日本酒「獺祭(だっさい)」は、いまや世界50カ国以上で愛される日本を代表する銘柄となった。

しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。1980年代後半、旭酒造は倒産寸前の状態だったのだ。

「このままでは潰れる。だったら、これまでの常識を全部捨てよう」

当時、社長に就任したばかりの先代・桜井博志氏はそう決意したという。

「杜氏制度」を捨てた蔵

旭酒造が下した最初の革命的決断は、杜氏制度を廃止することだった。日本酒造りにおいて、杜氏(とうじ)は醸造の最高責任者であり、蔵元の命運を握る存在。それを手放すことは、業界の常識を根底から覆す行為だった。

代わりに旭酒造が採用したのは、データとマニュアルに基づく四季醸造。温度、湿度、米の溶け具合、もろみの状態 — すべてを数値で管理し、誰が造っても同じ品質の酒を作れる体制を構築した。

  • 山田錦の精米歩合を徹底追求(最大で23%まで磨く)
  • 仕込みを通年化し、年間生産量を確保
  • 東京を起点に販路を拡大、次いで海外へ

海外で花開いた「SAKE」

旭酒造の海外展開は、既存の日本酒業界の枠組みを超えていた。ニューヨーク、パリ、上海。世界の一流レストランに獺祭が並ぶたび、日本酒は「民族的な飲み物」から「ワインと並ぶ世界のファインドリンク」へと昇華していった。

桜井会長は語る。

「獺祭は、日本酒ではなく『SAKE』として世界に出た。ラベルも英語、ブランドストーリーも国際的。日本の飲み物という枠を一度外すことで、逆に日本酒の本質が世界に伝わった」

次世代への継承

現在、旭酒造を率いるのは桜井会長の長男・桜井一宏社長。ニューヨークでの酒蔵建設、AIによる醸造管理の導入など、次の革命を仕掛け続けている。

ScaNaviでは、今後も獺祭の挑戦を追い続けていく。次回は、旭酒造がニューヨーク州ハイドパークに建設した海外初の酒蔵「Dassai Blue」を取材する予定だ。


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